嵐牛俳諧資料館

静岡県掛川市伊藤嵐牛俳諧資料館(俳諧・和歌・国学等)


柿園嵐牛(1798~1876)幕末遠州で活躍した俳人

掛川市八坂出身の伊藤嵐牛は芭蕉の流れを汲む俳人です

鶴田卓池に入門し浜松から静岡まで三〇〇余人の門人を養成しました

 


 嵐牛 伝  昭和60年刊行 柿園 嵐牛翁 より

嵐牛は 通称 伊藤清佐衛門豊蔭といい、寛政10年佐野郡汐井河原(現掛川市八坂)に生まれた。家は農業で鍛冶を兼ねていた。幼い頃から家業に励み俳諧を好み、三河 岡崎の青々卓池の門に入門した。33才の時、掛川市伊達方の石川依平に和歌国学を学び、さらに博覧多聞諸学を深く学んだので、語法仮名遣いの正確さは当時の俳人の遠くに及ばない処だった。毎日家業の鍛冶に専念しながら俳句を勉強し、門人に教え財を成した。屋敷内の柿の落ち葉を拾い集め、それに句を書いたという。嵐牛は、天保半ば頃から俳句を門人に教え、入門者は東は金谷宿から西は磐田郡二俣にまで及び、入門者は多かった。依頼による句会への出席は100回以上に及び、直接指導による門人は300人以上に達すると推察される。嵐牛に教えを請う人が常に門に満ちていたという。

安政4年、柿園に集まった人々の俳句を添削せずにまとめて「そのまま集」と名づけて刊行した。5編迄は嵐牛門人の句が記載され、第6編は門人の他に他流の俳人も含む友人、孫弟子等の句が記録されている。嵐牛は晩年を長子洋々に譲り、屋敷内に別室を設けて移り柿 園と号した。晩年、白童子と号し柿園は長子洋々が継ぎ、白童子は門人松嶋十湖に譲った。明治9年5月28日78歳にて歿す。法名を柿園嵐牛居士という。

以上は 玄孫 伊藤鎌次郎 とその妻 伊藤ほみ による


当館の特徴

全国的にも他に類を見ない俳諧文献を収蔵しています

主たる収蔵品は俳諧・和歌・国学の文献・資料等です

江戸時代の蔵を改修し収蔵品を展示しています

大正時代の木造住宅小堀遠州風庭園も公開しています


入 館

※入館に際しましては事前予約が必要です

館 長 : 伊藤鋼一郎

住 所 : 〒436-0004  静岡県掛川市八坂  434-1

連 絡 先 :  TEL:0537-27-0392/TEL:090-1472-2972

     FAX:0537-27-0440

mailtakumise@titan.ocn.ne.jp